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大阪地方裁判所 平成7年(ワ)3241号 判決

原告

赤城正幸

被告

山野真由美

主文

一  被告は、原告に対し、八七二万八一六八円及びこれに対する平成五年四月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、一五五七万九二六八円及びこれに対する平成五年四月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

1  被告は、平成五年四月二五日午後七時五五分ころ、普通乗用自動車(なにわ五〇ち九〇三八)を運転して、大阪府守口市京阪本通一丁目六先道路を進行中、過失により、信号待ちで停車中であつた益田一也の運転する普通乗用自動車(以下「益田車両」という。)に自車を追突させ、その衝撃で益田車両をその前で同様に信号待ちのため停車中であつた原告運転の普通乗用自動車(大阪七八ね三三六一、以下「原告車両」という。)に追突させた(以下「本件事故」という。)。

2  原告は、本件事故により、頸椎症性脊髄症等の傷害を受け、そのため、平成五年四月二六日から同年五月一八日まで及び同年六月一四日から同年七月一〇日までの合計五〇日間守口生野病院に入院し、また、同年五月一九日から同年六月一三日まで及び同年七月一一日から平成六年一月二一日までの間同病院に通院(実日数一一一日)して治療を受けた。

3  原告は、右治療のため、頸椎前方除圧固定術の手術を受け、そのため脊柱に変形が残り、また、右手術のために腸骨から骨採取したことにより骨盤骨の変形が生じ、平成六年一月二一日右障害を残して症状が固定したが、これらは、自動車保険料率算定会大阪第三調査事務所により自動車損害賠償保障法施行法二条別表障害別等級表所定の一一級七号、一二級五号に該当し、併合一〇級との認定を受けた。

4  原告と被告が任意保険を締結している保険会社(以下、単に「保険会社」という。)との間で本件事故に関する示談交渉が行われ、平成六年一〇月五日、原告と被告との間で、「被告は原告の治療費を支払う。被告は原告に対し、既払を除き一切の示談金(後遺障害併合一〇級を含む)として四六九万七一五〇円を支払う。」との示談が成立した(以下「本件示談」という。)。

5  原告は、本件事故による損害のてん補として、自賠責保険から四六一万円の支払を受け、また、そのほかに被告から三五二万八四七五円の支払を受けた。

二  争点

1  本件示談の効力

(原告の主張)

本件示談は、原告が、実際には本件示談において定められた金額を相当程度上回る賠償金の支払を受けることができたはずであるのに、右金額について十分な説明を受けられないまま、原告の主張がすべて受け入れられたとしても右金額が上限であると誤信して本件示談に応じたのであり、本件示談契約の締結にあたつては原告においてその重要な要素に錯誤があつたから、本件示談契約は無効であり、原告は、被告に対し、改めて適正額の損害賠償請求をすることができる。

(被告の主張)

保険会社の担当者奥武男(以下「奥」という。)は、本件事故が軽微なものであつたうえ、原告には変形性脊椎症の既往症があつたことから、原告の右既往症に本件事故の衝撃が加わつて原告の症状が発現したもので、右症状の発現についての原告の既往症の寄与率は五〇パーセントであると判断し、原告にもこれを説明した上、右を前提に算定した賠償額によつて本件示談契約を締結したのであり、また、本件示談契約の内容も客観的に正当な賠償額を定めたものであるから、本件示談は有効であり、もはや原告は被告に対し損害賠償を求めることはできない。

2  原告の損害

第三当裁判所の判断

一  本件示談の効力について

1  甲第二四号証、第二五号証の一ないし三によれば、守口生野病院脳外科の箕倉清宏医師は、原告には、頸椎単純レントゲン写真上は、頸椎第五、第六間、第六、第七間に頸椎板空の狭少化及び第五、第六間では後方への骨棘形成、第五、第六間、第六、第七間で側方への骨棘形成を認め、また、MRI及びミエログラフイー、ミエログラフイー後のCTスキヤン等より明らかに頸椎第四、第五間、第五、第六間で椎体の後方骨棘形成によりくも膜下腔の狭少化及び脊髄の変形を来しているのが認められるとの所見を述べているほか、原告には後縦靱帯骨化が一部で存在する可能性を手術所見より確認しているが、後縦靱帯骨化症という病態の中には入らないと考えているとの意見を述べていることが認められ、右事実に原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると、原告には、本件事故以前から無症状の変形性頸椎症の既往症があり、本件事故に遭つたため、本件事故による衝撃と相俟つて、頸椎症性脊髄症等の傷害が顕れたものと認めるのが相当である。

そして、乙第三号証、第四号証の一、二、検乙第一ないし第六号証によれば、本件事故によつて原告車両が受けた損害は極めて軽微であることが認められ、このことから本件事故によつて原告車両が受けた衝撃もまた比較的軽微なものであつたと推認されるものの、原告本人尋問の結果によれば、益田車両に追突された際、原告車両はいくらか前に突つ込むような形で少し進んで止まつたこと、原告は本件事故当時、体を少し斜め横に向けた状態であり、追突されることは全く予想していなかつたことが認められるから、本件事故による衝撃が比較的軽微であつたとしても、そのことのみから、原告の受けた傷害の程度が本件事故による衝撃の程度と均衡を失するとまではいえない。また、前記認定によれば原告の既往症の程度はそれほど重篤なものであつたとは認められないうえ、甲第一号証によれば、原告は本件事故当時五五歳であつたことが認められ、右の年齢程度であれば頸椎にある程度の経年性の変化があることが通常であることに照らすと、本件事故によつて原告が受けた傷害は、原告の身体的素因が大きく影響したものであるとは認めることはできない。

以上によれば本件事故によつて原告が受けた傷害の発生には原告の既往症が寄与していると認められるが、右の諸事情に照らしその割合は二割とするのが相当である。したがつて、本件事故による損害賠償額を算定するに当たつては、損害の公平な分担という見地から、民法七二二条二項を類推して、原告の損害額からその二割を控除するのが相当である。

2  甲第一九ないし第二三号証、乙第一号証及び証人奥武男の証言並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 本件示談に先立ち、まず平成六年九月二六日に原告と奥との間で交渉が行われたが、その際、奥は、原告に対し、治療費はすべて保険会社で支払うことにしたうえ、そのほかの原告の損害については、通院交通費一〇万九五〇〇円、慰藉料八六万二〇〇〇円、休業損害二四二万四八四〇円、入院雑費四万円、装具代三万〇六四〇円、後遺障害四六一万円の合計八〇七万六九八〇円とし、原告の傷害には原告の既往症が五割寄与しているとしてこれにより五割を減額し、更に既払額を控除した残額二三二万三一五〇円を支払うとの案を示した。しかし、原告は右の案が低額に過ぎたためこれを断り、特に既往症の寄与度五割の減額については、自分には本件事故以前には格別の既存障害はなかつたとの認識であつたため納得できず、これを認めないと回答し、同月三〇日にも交渉が行われたが、既往症の寄与度減額についてのやりとりに終始し、進展は見られなかつた。

(二) 交渉は引き続き同年一〇月五日にも行われ、このとき、原告は、奥に対して、九月二六日の案の慰藉料を一〇〇万円に増額して欲しい、後遺障害については自賠責保険に被害者請求するので寄与度五割の減額を撤回して欲しいとの希望を述べた。これに対し、奥は、慰藉料を原告の希望どおり一〇〇万円とし、後遺障害としても四六一万円が最高だと述べたうえ、後遺障害分の四六一万円を除いた損害を合計三六〇万四九八〇円とし、これより原告の既往症の寄与度として五割を控除し、更に既払額を控除した残額八万七一五〇円に後遺障害分の四六一万円を加算した総額四六九万七一五〇円を支払うとの案を原告に示した。そこで、原告は自己の主張が概ね通つたものと考え、示談に応じて署名捺印し、この日に奥が作成した損害賠償額内訳表の写しをもらつて帰宅した。

(三) 原告は、本件示談の成立した翌日の同月六日に、奥から受取つた損害賠償額内訳表の写しを改めて検討したところ、「既往症有り」との記載があり、寄与度減額についての自己の主張が認められていないことに気付き、同日七日奥に会つて、騙された、本件示談を取り消すと述べたうえ、同年一一月八日付で、保険会社及び被告に対し、本件示談は破棄する旨の内容証明郵便を送付した。

3  以上によれば、原告は、本件示談交渉の過程で原告の既往症による寄与度減額には応じられないと一貫して主張し、原告は、右主張が受入れられたと考えたからこそ本件示談に応じたものと認められるところ、原告の損害賠償額の算定にあたり右寄与度減額をしないということが本件示談契約締結の動機となつており、しかも、本件示談交渉の過程で明示され意思表示の内容となつていたと認められるから、これとは異なる前提にたつて成立した本件示談契約には、法律行為の重要な要素に錯誤があつたということができる。なお、前記1のとおり、原告の傷害の発生には原告の既往症が二割寄与しているというべきであるが、奥が本件示談の前提としていた五割とはなお大きな開きがあるうえ、原告は、本件示談交渉の過程では、寄与度減額自体に応じないとしていたのであるから、右の結論を左右するものではないというべきである。

よつて、本件示談契約は錯誤により無効であり、原告は、被告に対し、改めて損害の賠償を求めることができると解するのが相当である。

二  原告の損害について

原告は、本件事故により次のとおりの損害を受けたものと認められる。

1  治療費 一七二万五九八五円(請求どおり)

弁論の全趣旨によれば、原告は、守口生野病院での治療費として、一七二万五九八五円を負担したものと認められる。

2  交通費 一〇万九五〇〇円(請求どおり)

甲第一七号証、第一八号証の一ないし四、第一九号証、第二一号証及び証人奥武男の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、守口生野病院への通院に際し、交通費として合計一〇万九五〇〇円を支出したことが認められる。

3  装具代 三万〇六四〇円(請求どおり)

甲第一九号証、第二一号証、第二五号証の一、二、乙第五号証の三及び証人奥武男の証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は、本件事故による傷害のためネツクカラーの装着を必要とし、そのために三万〇六四〇円を負担したことが認められる。

4  入院雑費 六万五〇〇〇円(請求どおり)

原告は、平成五年四月二六日から同年五月一八日まで及び同年六月一四日から同年七月一〇日までの合計五〇日間守口生野病院に入院したものであるところ、甲第一七号証及び弁論の全趣旨によれば、右期間中一日当たり一三〇〇円を下らない雑費を支出したものと認められ、その合計は六万五〇〇〇円となる。

5  休業損害 二一八万二三九九円(請求二一八万二四〇〇円)

甲第一六号証の一、二によれば、原告は、本件事故当時、大農建設株式会社に勤務し、一か月当たり二四万八〇〇〇円の基本給を受ける約定であつたことが認められる。そして、原告は、本件事故の翌日である平成五年四月二六日から症状の固定した平成六年一月二一日までの間のうち二六四日間は就労することができなかつたものと認められるから、原告が本件事故により受けた休業損害は、二一八万二三九九円となる。

計算式 248,000÷30×264=2,182,399(円未満切捨て、以下同じ。)

6  逸失利益 一一四一万九七八〇円(請求一三九〇万四二一八円)

甲第一三ないし第一五号証、第一六号証の一、二及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、平成三年当時太平開発株式会社に勤務し、同年には七九一万三〇〇〇円の収入があつたが、母親の看病のために平成四年四月以降は休職し更に同年九月には同社を退職し、平成五年三月二五日から大農建設株式会社に勤務し始めたものの、一か月経過した同年四月二五日に本件事故に遭つたこと、原告は、同社では二四万八〇〇〇円の基本給のほかに、交渉により付加給として歩合給が受けられる可能性もあつたが、本件事故に遭つたため右交渉をすることができなかつたことが認められる。右のような事情によれば、原告の本件事故一か月前の所得をもつて原告の逸失利益算定の基礎とするのは原告にとつて酷というべきであり、原告が平成三年当時には平成三年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・五〇ないし五四歳男子労働者の平均年収額六八二万八四〇〇円を上回る収入を得ていたことに照らすと、原告の逸失利益は、平成五年賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・五五ないし五九歳男子労働者の平均年収額六一九万六三〇〇円を基礎に算定するのが相当である。

そして、原告は、本件事故による後遺障害として脊柱及び骨盤骨に変形が生じたものであるところ、このうち、骨盤骨の変形は、頸椎前方除圧固定術の手術のため腸骨から骨採取したことにより生じたものであつて、それ自体は通常労働能力の喪失をもたらすものではないと認められるので、原告は、右後遺障害により、就労可能と認められる六七歳までの一二年間にわたり労働能力の二〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当である。そこで、前記収入を基礎に、右期間に相当する年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除すると、本件事故当時の原告の逸失利益の現価は一一四一万九七八〇円となる。

計算式 6,196,300×0.20×9.215=11,419,780

7  慰藉料 五五五万円(請求五七〇万円(入通院一七〇万円、後遺障害四〇〇万円))

本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、本件事故により原告が受けた精神的苦痛を慰藉するには、五五五万円の慰藉料をもつてするのが相当である。

三  結論

以上によれば、原告が本件事故によつて受けた損害は二一〇八万三三〇四円となるところ、原告の傷害の発生については本件事故以前から原告に存した既往症が二割寄与しているものと認められるから、右損害から二割を控除すると一六八六万六六四三円となり、更に原告が既にてん補を受けた八一三万八四七五円を控除すると、残額は八七二万八一六八円となり、結局、原告は、被告に対して、右金額及びこれに対する本件事故の日である平成五年四月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱口浩)

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